僕がなぜ書くか

 僕が精神障害をカミングアウトしていることについて、凄いですねと言われる事が時々ある。

 まぁ世間の平均の雰囲気だとそうなのかもしれない。前の会社の在籍中に発病して休職した時は腫れもののように扱われ、「こころの病」担当者以外の誰からも連絡は来なくなり、退職した今でも Facebook に前の会社の人から「いいね」が付いたことは不自然な程ほとんど無い。(関係ないけど僕は「こころの病」という婉曲表現が大嫌いだ。「こころ」なんていう曖昧なものではなくはっきりと脳の病気なんだから、はっきりと精神疾患と言えと。「こころ」なんて表現を使う事で本人の考え方次第で絶対治るみたいな誤解を生んでいる側面もあるんじゃないか。それに、「こころ」なんてものに効く薬はこの世に存在しない。)

 数十年前、この国にかつて存在した精神疾患の隔離政策を知っている世代にとっては、未だに精神疾患について公に触れる事はタブー視される事は仕方がない事なのかもしれない。多分その雰囲気が今の若い世代にも間接的に伝わって、隔離とまではいかないけど「当事者からも言いづらいし、周りからも触れづらい」という世間の平均の雰囲気があるのだと思う。

 しかし統計を見ると、国民の三十数人に一人が精神科・心療内科に現在通院しているとされ、生涯ベースで言うと五人に一人は精神科・心療内科にかかるという説も存在しているらしい。うつ病の世界での有病率は4.3%だ。つまり、三十人の学校のクラスがあったらそのうち一人は精神科・心療内科に通院している計算になるという理解で良い。となると、本当は珍しくも何ともなく、「普通にありふれた病気」の一種なのだ。ただ、本人あるいは周りの人間から隠されているだけなのだ。

 

 さて、本題の「僕がなぜ書くか」について。きっかけとなった理由は「精神障害のカミングアウトを無しに社会で生きていく事が立ち行かなくなったから」だ。

 障害とは何か。世間の平均の人が出来る事が、障害を抱えている人にとっては出来ないもしくは困難であるという事だ。精神障害を抱えている人の困難の一つに、どういった事が自分が出来ないもしくは困難であるという事を、心情的な面から周りの人間に周知しづらいという事がある。精神障害を抱え始めた人のおそらくほとんどが、その周知をせずに障害を抱えていない人達のグループに合わせようとするのだけれど、やっぱりどうしても上手くいかないのだ。

 「弱さの情報公開」という概念がある。自分の弱さを周りに伝える事で初めて、助け合いが始まり、物事が上手く進んでいく可能性が生まれるという事である(参考 : “強い”は脆いから、“弱さ”の力を)。社会の中で自分の居場所を保つために、もしそれしか答えが無いのだとしたら、障害を公にした方が良いのではないか。そういう思いで、僕は精神障害をこうやってカミングアウトしている。

 ただ、病名のカミングアウトは推奨しないし僕もやっていない。精神疾患は十人いたら十人症状が違うもので、なんとなくカテゴライズしたらこういう病名が付くという程度のものでしかなく、しかも病名が時間の経過と共に変わったりもする。病名だけが一人歩きして、あの人はああいう人なんだ、という誤ったレッテルを貼られる事だけは避けなければいけない。

 「僕がなぜ書くか」の副次的理由は、精神障害を持つ人が普段どういう事を考え、困難を抱え、生活を送っているのかという情報を周りの知人に発信したかったから、というのがある。インターネットをやっていると、時に人を取り返しの付かなくなってしまう病気から守ってもらえる事がある。SNS で「今日は耳の聞こえが悪い」と何気なく書き込んだところ、「突発性難聴の可能性があるからいいから今すぐ耳鼻科へ行け」と周りからコメントされ病院に行き事なきを得た、という場面を何度も見たことがある(参考 : 「突発性難聴になったら全てを投げ捨てて、病院です」)。僕が最初に精神科に駆け込んだのは、周りの人の助言など何も無かったけど、インターネットで「こういう症状があったら迷わず精神科へ行け」という記事があったからだ。本当にあの時迷わず行って良かった。進行性の性質がある病気だったから、あと数ヶ月医療に繋がるのが遅かったらどうなっていたかわからない。

 「こういう病気もあるんだよ」、ただそれだけの情報をインターネットに書いておくことで、周りの誰か一人でも助けられる事があるかもしれない。その可能性だけを念頭に置いて、僕はこうやって今日も書いている。

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