近況

 3日前の日記の続き。

 昨日テストのつもりで30分働いて、30分休憩するサイクルでプログラミングをしてみた。

 感想としてはとても筋が良さそうだと思った。まず気になる生産性の話だが、50分働いて10分休憩するサイクルの時と変わらない。というか30分働いて30分休憩するサイクルの方が生産性が良いとまで言って良い気がする。50分も働いているとどうしても集中力が持たなくなってきてネットサーフィンをしたり社内チャットを見たりと散漫になりがちだけど、30分だと集中力が持つからかなり密度の高い仕事が出来るようになった。

 30分休憩するのも、見かけ上はベッドでゴロゴロしてスマホ見てたりするだけなんだけど、人間の脳は表面的な思考には出てこないところ、バックグラウンドの部分で物事を考え続ける性質がある。なので、事実上は休憩している間もプログラミングの問題を解き続けている(夜眠っている間にプログラミングの課題が解決した、という経験を持つプログラマは五万といる)。そうして30分休憩という名の思考時間を経て、30分の仕事という名のアウトプットに思考を全部注ぎ込むことができる。だから、「自分は1時間のうち30分しか仕事をしていない…」とか悩んだり罪悪感を感じたりする必要性がまず生じない。30分働いて30分休憩しようが、実のところきっちり1時間仕事している。

 30分間だけ働けるという時間の縛りは発達障害でいうところの過集中への対策としても優れていた。過集中ってだいたい作業時間が30〜40分経ったあたりから脳の回転が止まらなくなってきて、その後休憩することなく作業をしてしまうものだから気がついたら休憩をしていなかったせいで疲労困憊になっている、という実感があるんだけど、30分間という縛りを設けることで脳が暴走する前に作業をストップすることができる。

 30分働くという時間設定のヒントはポモドーロ・テクニックから着想を得たものだ。ポモドーロ・テクニックというのは25分間作業をして5分間休憩をするというサイクルを4回回して、4サイクルしたらちょっと長めの休憩をとるという有名なライフハックなんだけど、あれはやってみた実感としてはストイックすぎてとても持続できないという感じだ。5分だけ休憩した後必ず作業に戻るという所が鉄の心臓がないととてもできない。そこの欠点を、30分休憩するとアレンジしてあげることで、「30分休憩したし作業するか…」と無理なく作業に戻ることができた。

 30分という時間を計るのにはApple Watchを活用した。Apple Watchでは待機状態から最短2タップで30分のタイマーを設定することができるので面倒くさくないのが良い(30分用のショートカットのボタンが存在する)。これが25分だったり50分だったりするとショートカットボタンが存在しなくて設定が面倒だからそのうちやらなくなってしまうだろう。スマホのタイマーと違って腕で震えてくれるのですっと意識を転換することができるし。

 そんな感じで昨日は30分働いて30分休憩するのを無理なく6サイクル回すことができた。今まで4時間しか働けなかったのが楽に6時間働けるようになったので、どうやら筋が良い仕組みっぽい。しばらくこんな感じでやっていきたい。

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近況

 昨日の議論をもう少し深めてみたい。

 「プログラミングという仕事はゆっくりやることが可能なのか」という命題だ。

 例えばプリント類を100束ホッチキスで閉じる仕事があったとする。この仕事をゆっくりやることは簡単だ。ぼーっとしながらやればゆっくり出来るからだ。では、図面に記されたマークの数を数える仕事はどうだろうか。これもゆっくり数えれば簡単にゆっくり出来そうだ。

 それでは、「1 + 1 = ?」「2 + 3 = ?」といった簡単な算数を解く仕事があったとする。これをゆっくりやることは出来るだろうか。単純にはNOだ。なぜなら、「1 + 1 =」という数式を見た瞬間に脳の神経細胞は瞬時に解いてしまって、答えを筆記具で書くだけだからだ。

 プログラミングという仕事にも同じことが言える。「(1) 解こうとしている問題の構造を頭の中で組み立ててコードを考える」、「(2) 考えたコードをコンピュータに入力する」という、極端に言ってしまえば「1 + 1 = ?」を複雑にしただけの作業だからだ。(1)は脳の神経細胞レベルの話だから意図的にゆっくりやることは出来ないし、(2)もキーボードをタイピングするだけだから今更ゆっくりやることは出来ない。つまり、プログラミングという作業それ自体はゆっくりやるということが難しいのだ。

 ではゆっくりやるにはどうすればいいかというと、外部から何らかの邪魔になる要素を意図的に介入させるしかない。極端な事例を示すと、ニコニコ動画で有名なドワンゴ社では、Slack(Web業界でよく使われている社内チャットツール)の雑談用のチャンネルが1500以上あるらしく、業務時間中に自分の趣味にあったチャンネルで雑談チャットにいそしみながら仕事をしているらしい(「ドワンゴ slack」で検索すると嘘のような本当の話がたくさん出てくる)。ここまでくると半分チャットをしながら半分仕事をするみたいな感覚になる。これは僕は非常に優れたアイデアだと思っている。プログラミングは底なし沼みたいな性質を持っていて、他業種に比べて精神を病みやすいと言われている。つまり、あまり真面目に仕事を直視しすぎてはいけないのだ。

 チャットではなくとも、例えば音楽を一日中流しっぱなしにするとか、半分ネットサーフィンをしながら半分仕事をするとか、そういう外部からの邪魔になる干渉を自発的に取り入れないと、プログラミングという仕事はゆっくりすることが出来ない。逆説的ではあるが、健康的に長く働きたいのだったら、仕事中にあまり真面目に仕事だけに向き合ってはいけない、とまで言ってしまっても言い過ぎでは無いような気がしている。

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近況

 1日4時間勤務の時短勤務をするようになってから3ヶ月ぐらい経った。収入は手取りで7万円ぐらい。実家暮らしなのでこれでも黒字だから今は困っていないんだけど、実家に依存しているという点で持続可能性が薄いのでいずれはどうにかしなければいけない。

 最近スポーツジムにたまに行くようになったんだけど、ランニングマシンで最初20分に目標を設定して走ってみるんだけど10分ぐらいでバテてしまって走りきれない。そこで設定速度を歩けるぐらいの速度まで落としてみてから走ると20分走ることができた。そこにヒントがあった。

 (※以下は草案です)

 収入的に不安定なので8時間勤務に戻したい。ところで、僕の仕事のスピードは平均よりもたぶんかなり速い(ここでは発達障害でいう過集中という意味合いで言っている)。ランニングマシンでいうと速度が速すぎて途中でバテてしまう状態なんだと思う。これが非常にマズい。持続可能性が無い状態だ。なので設定速度を落としてあげることで8時間働けることを目指す。でも、性格的に全速力で働いてしまうので今の仕組みでは無理だ。そこでどうするか。

 今まで4時間ぶっ通しで働いていたのを、30分働いて、30分休むというサイクルを1日8回繰り返す仕組みに変えてみる。これでも勤務時間的には4時間だ。リモートワークでやっているので、30分休むというのは家のベッドで30分ゴロゴロしていることを指す。数ヶ月このパターンでしばらく続けて楽に8時間働く感覚をつかむ。楽に8時間働けるようになったら、40分働いて、20分休むというサイクルに変えてみる。この時仕事をゆっくりやるように注意する。そのパターンで楽に8時間働けるようになったら、50分働いて、10分休むというサイクルに変えてみる。この時さらに仕事をゆっくりやるように注意する。

 こうすることで持続可能性を持ちながら8時間働けるようにランディングさせることができるようになるのではないだろうか。いくら仕事をゆっくりやるようにしたところで多分平均ぐらいまでしか速度は落ちないだろうから職業倫理的にも大丈夫だろう。

 (※以上、草案でした)

 みたいなことを思いついた。今度病院の先生に相談してみよう。

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近況

 だらだらと見続けていたアニメ2本(けいおんけものフレンズ)をようやく見終わることができた。見てて楽しかったんだけど、性格のせいなのか10分ぐらいで休憩したくなったり2週間ぐらい放置したりして、2ヶ月ぐらいでようやく全部見れた。一気見とかリピートで見れる人はすごいなーと思う。次は何を見ようかな。以前作ってもらったオススメ作品リストがあるのでしばらく見るものには困らなそうだ。

 最近なぜか会って食事でもしようみたいな機会を頂くことが増えた。いろんな話をする中で病気の話になることも当然あって、病気の悩みは論理や感情では解決できないのでただ本当に聞いてもらうだけになってしまうんだけど、聞いてもらえるだけでもとても助かっている。毒抜きって意味でも助かっているし、一人だけで悩んでいないという感覚が保てるという面でも大きい。聞いてもらってありがとうございます。

 最近だるいだるいとばかり言い続けているけど、本当にだるくて困っている。というか4年間病気やってきて「だるい」が主訴になったことってここ数ヶ月が初めてなんじゃないだろうか。「だるい」以外の症状が治まってきて、病気が治っていっているととらえた方がいいんだろうか。それとも薬の副作用のせいなんだろうか。いま薬は向精神薬睡眠薬の2種類を飲んでいるんだけど、睡眠薬の方がどうも怪しい。普通に問題なく睡眠はとれているし、そろそろ睡眠薬は中止になるのだろうか。

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近況

 昨日した聴覚優位の発達障害者は物の奥行きが把握できない傾向にあるという話、参考までに引用しておく。誰の役に立つかはわからないけれど。

 ドナ・ウィリアムズに世界はどう見えていたか

 それでは、次の文章を読んでいただきたい。これはドナが色つきレンズや偏光フィルターを組み合わせためがねを装着したときに体験した見え方の変化である。

「突然、目を落としていたページの文字が、まるで違って見えた。…(中略)…わたしは、窓の向こうの庭を見た。これまでのように木から木へ、茂みから茂みへ、目を移すのではなく、一気にすべてが目に入ってくる。ひとつの完全な庭として、一枚の絵のように全部が見えるのだ。いや、それはもう「絵」以上のものだった。そこは、ひとつの「場所」だった。…(中略)…これまでわたしは、世界にはさまざまな深さと奥行きがあって、自分が動くことでそれを感じることができると習ってきたが、実際にそうした深さや奥行きの変化を感じたことは、一度もなかった。それが今はただ目をやるだけで、そうと実感できる。…(中略)…わたしはそのまま、イアンを見た。「あ、あ、あなたの、か、顔」わたしはどもった。「全部、くっついてる!」(新潮社『ドナの結婚ー自閉症だったわたしへ』河野万里子訳、二一一二一二ページ)

 ここには重要なことが書かれている。彼女にとって世界は、木は木、茂みは茂みといった具合にばらばらに見えていて、それが一つの場所として認知されていなかったこと。全く同様に、目は目、鼻は鼻とばらばらに認知されて、顔として認知されていなかったことである。つまり広汎性発達障害において、比較的よくあることのようなのだ。

 ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)

  僕もこんな見え方の世界を生きている。初めて偏光フィルター入りのカラーレンズを身に付けた時の世界の見え方の衝撃は、今でも忘れられない。

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近況

 高校数学の問題集(チャート式)をこないだ買ってやってみたんだけど、難しい。15歳の時にやっていた問題が31歳の自分には全然解けない。いや、当時も解けていたかどうかは怪しいんだけど。大学入試は受けた全大学で数学の完答数0問だったし…。あまりに難しくて、買ったチャート式は1週間ぐらいで飽きてしまった。数学の才能はやっぱりないな。機械学習とかやっぱり無理だな。そこがハッキリしたことだけが収穫だった。

 自分が29歳という遅さからプログラミングにあっさり馴染めたのって、数理的な要素が強いからだと今まで勘違いしてたんだけど、そうじゃなくて、どうやら英語が得意だったからという理由が大きいのかもしれないな、と昨日思った。英語そのものが役に立った訳ではなくて、英語の文法でならう品詞分解だとか英文の構造の把握の仕方だとか、そういった言語の構造の把握のスキルが、プログラミング言語の構造の把握に応用できたんだと思う。

 発達障害には視覚優位の人と聴覚優位の人に分かれるという説があるんだけど、その説でいうと僕は圧倒的に言語優位、聴覚優位のタイプだ(僕は診断名が付くほど発達障害の傾向は強くないけど)。ここら辺の話は岡南さんの天才と発達障害という本に詳しく載っているので興味がある方は読んでみると面白いと思う。聴覚優位の人は物の奥行きが把握できない話とかも岡南さんの本から知った。

 当時はそんなに突き詰めて英語を勉強する必要性がなかったので(志望大学の英語の試験がすごく簡単だった)、そこまで勉強時間をかけたことはないんだけど、予備校の模試で文系志望の子たちを抑えて校内1位をとったこともある。3年前、精神的にもうめちゃくちゃだった時に受けたTOEICも750点だった。数学はさっぱりわからないけど、英語はそのぐらいにはできて今でも才能があるかもしれない。最近思ってることだけど、好きなこと、興味があることじゃなくて、できること、得意なことを基点に考えた方が筋がずっと良いんだろうな。

 そんなことを思って昨日バイリンガルニュースというpodcastを聞いてみたり単語帳についてるCDでリスニングをずっと流してたりしていた。楽しい。一日中ずっと聞いてしまった。精神壊してから、ピアノをやってみたりアニメを見てみたり数学をやってみたり、まあいろんなことに手を出しては諦め、手を出しては諦めを繰り返し、どこかにずっと続けていられる才能の種が転がってないかなと思って探し続けているんだけど、今度は英語を探ってみようか。そうしたら何かあるだろうか。

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近況

 僕がインターネットと出会ったのはもう20年以上前のことで、当時はみんな本当にインターネットを楽しく使っていて今みたいに喧嘩したり生活の愚痴をこぼしたりする人なんて滅多に見かけなかった。その頃の原体験があったから、「インターネットは楽しく使うもんだ」という信念みたいなものが生まれ、20年間ネットにネガティブな情報や感情は一切出さないようにしていた。ネットで愚痴をずっとこぼしている人なんかを見るのも苦手で、そういう人のツイッターはそっとミュートしたりしていた。

 それが今年の3月ぐらいから心境の変化があって、精神障害をカミングアウトしたり露悪的にだるいとか疲れたとかツイッターに書き込んだりし始めるようになってしまった。

 楽なのは圧倒的に今のスタイルの方だ。辛いとか隠さなきゃとかいう感情をそのまま表現していいのだから。でも、他人目線で見ていて楽しかったのは絶対に昔のスタイルだ。ツイッターの昔のログなんか見返すと楽しそうにインターネットを使っている。では、面白いのは今と昔どっちのスタイルだろうか?それは僕にはわからない。ドロドロした悩みや感情みたいなものがあった方が人間っぽくて面白いと感じる人も中にはいるかもしれない。自分の役に立つのはどっちのスタイルか?それもわからない。普通の人と思われていた方が楽だったのかもしれないが、こういう悩みとか困りとかを読んでくれた人がちょっと助けてくれることもあるからだ。他人の役に立つのはどっちのスタイルか?わからない。人間誰もが転んでしまうことがあって、転んでしまった時に感じたことを記しておけば誰かの役に立つのかもしれない。

 「インターネットは楽しく使うべきものなのだろうか?」20年間信じてきたことが、ちょっとわからなくなってきている。悩みとか困りとかなくなった頃には、何事もなかったかのようにまたインターネットを楽しく使うようになるのかもしれないけど。

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